2007-01-23

追い詰められて。

昨日の俺はダメなやつだった。
本当に、ダメすぎて落ち込んだ。

どんな昨日を過ごしたかというと・・・。











(昨日のすることまとめ表)














(その数時間後のすることまとめ表)


ほら。

明日できるならどんどん先延ばしにしちゃえ

っていう。

今日できることを、明日に伸ばすな?

>Hah?

っていう。

でも、その結果追い詰められたよ。
なんつっても、明日提出のレポートに手を全くつけてない。

だから書いた。
本気出した。
いままでもこうやってやってきたからいけると思ってた。

さすが俺。
もういい。
ナルシストといわれてもいい。

全力で認める。



萩原朔太郎と故郷

今回のレポートでは、萩原朔太郎の故郷への思いの変化について記したいと思う。朔太郎は、詩集『青猫』や『月に吠える』の時期には、故郷である前橋への激しい嫌悪を表現している。それが顕著に表現されているのが、『月に吠える』の『田舎をおそる』であると思う。「田舎の空気は陰鬱で重くるしい、田舎の手触りはざらざらして気もちがわるい」というフレーズの中で、前橋への軽蔑の念が伺える。さらには、「何物も、私の求めるものはそこにはなかった」(『或る詩人の生活記録』より)とも書いており、故郷への無関心も表現されている。また、当時の朔太郎の都会への憧れも非常に大きなものだったのだろう。これは、前回私がレポートに挙げた『群集の中を求めて歩く』のなかでも非常によく表現されている。これらのことから、当時の朔太郎にとって、彼の故郷、前橋は憎むべき対象であり、憧れていた都会・西洋とまさに対極にあったことが感じ取れる。
しかし、一方で、朔太郎が上京した後の作品では、故郷を懐かしむ気持ちを感じさせるものが多い。『郷土望景詩』がまさにそれに当たる。朔太郎は今まで隠してきた故郷への愛をこの詩集にまとめたのではないだろうか。ここで私が疑問に思ったことは『郷土望景色』の収録されている『純情小曲集』はタイトルだけを見れば、故郷を懐かしく思い出している故郷愛をうかがうことができる。しかし、その詩の一つ一つに目を向けるとはっきりとした故郷への思いを感じ取ることはできない。故郷への好ましい印象を敢えて言葉にしないことで朔太郎は自らの屈折した故郷愛を表現しようとしたのであろうか。そして、このころの朔太郎の作品からは、上京前の都会・西洋への憧れとは一転して、東京への強い絶望が伺えるようになっている。『鴉』ではそれがもっともよく表現されていると思う。「どこにも人間の屑がむらがり そいつが空腹の草履をひきずりあるいて やたらにゴミダメの葱を喰ふではないか。 なんたる絶望の光景だらう!」とある。さらには、私が好きな朔太郎の作品に『猫町』があるが、この作品の中でも朔太郎が美しいと思っていた幻想が消え、いつものつまらない光景に戻ってしまうといった描写がある。これもある種の絶望といえるだろうと思う。朔太郎はこの『猫町』という小説の中に、自らの描いた都会の幻想が消えた絶望を暗に描いていたのではないだろうか。
その後に、朔太郎は帰郷することになる。そのときの気持ちがうかがえるのが、『氷島』だ。その中で今回は『帰郷』に注目した。この詩は、妻の突然の家出という形で終焉した、憧れていた都会での生活への激しい絶望と、幼子二人を抱え重病の父の元へ帰る、将来への不安が表現されており、帰郷の喜びは皆無だ。また、『郷土望景詩』『氷島』では、文語調の表現へとはっきり変化したことで、どこか激しい印象を受ける。朔太郎はここに内面の激しさを表現しようとしたのではないだろうか。
このように、年代に沿って朔太郎の生涯と作品を振り返ってみることで、彼の故郷への思いの移り変わりを、少しは理解できたように思う。 

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